去られる痛み
「いつも、できるだけ、君を支えていきたい」
そういってくれた友人が、私の周りから去って
いってから数ヶ月…
こんなに後遺症が長引くとは、自分でも意外でした。
私が主催する団体について、いつも陰で、
代表者の私を支えてくれた人…
その人が去ってから、私は、ちょっと「つまづいた」だけでも
心に、大怪我を負うようになってしまいました。
乗り越えなければならない…
強くならなければならない…
私を信じてくれる人たちのために…
そう言い聞かせながら、険しい山道を
心と体の痛みに耐えながら登っていると、時々
どうしようもない孤独感にさいなまれるときがあります。
「去られる」立場の人間というのは
どうしても「惨めな」気持ちになります。
「捨てられた」「見放された」…そんな思いが
心に冷たい影を落とします。
自分が大切だと思っていたものは、相手にとっては
大したことではなかったのだと思い知らされるとき…
心が砕け散るようなショックです。
この数ヶ月で、私が心に誓ったことがあります。
私も、今までは、それほどの思い入れも無く
誰かの前や、ある集団の中から去ったことが
あったけれど、これからもし、そういうことがあったなら
「見送る人(たち)」の気持ちを、精一杯、
フォローしようと思います。
「去られたことがある」「見送ったことがある」人間にしか
分からない痛みだからこそ、その人たちの
気持ちに、できるだけ配慮したいし誠実でありたい…
そんなふうに思っています。
○原さん…
今、どうしていますか?
貴方が「去った痛み」に耐えているとしたら
それも哀しいし、私のことをすっかり忘れたと
いうのなら、それも辛い…
私たちは、苦しむために出会ったわけでも
悲しむために信頼関係を育んできたわけでも
ありません。
この空の下で、もう一度、貴方と再会できることを
心から願っています。
季節外れではありますが、貴方と最後に見た花
紫陽花です。
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